第16回アディクションフォーラムに行ってきました
先日、また父が方々回って足で情報集めて、依存症のフォーラムを見つけてきました。
一日中ネットばかりしてる私より情報早くて広いの、ホントすごいと思います。
イベントや団体や自助会、当事者会の情報はネットを見るとADHDは存外情報転がってますが、発達障害や自閉症スペクトラムはほぼ無いし、ギャンブル依存症に至ってはあっても古すぎてもう団体が無いのもしばしば。
今日のフォーラムでもらった紙の資料がおそらく最新のイベントや団体、会の情報のはずなんですが、私が当事者会で聞いた情報より少し古いものでした。(ある程度規模や実績あるものだけ載せたのかも知れませんが。)
恐らくうちの父がこの世で一番沖縄のADHD/発達障害/自閉症スペクトラム/ギャンブル依存症関連のイベントや団体、会の最新情報を持ってるんじゃないかと思います。これも車あるからできることなんですよね。私も車運転したい…。
えー、今日のフォーラムでは依存症に対して新たな知見が得られたのでホントにきて良かったと思いました。
アディクションフォーラムとは
まずアディクションとは嗜癖(しへき)、いわゆる依存症のことです。
そしてアディクションフォーラムとはアディクションに関する関心と理解を深め、予防に必要な注意を払えることを目的としたフォーラムです。
また、アディクションを抱える当事者や回復者、家族らを中心とした自助グループ及び関係者が一堂に会し、相互理解を深める場でもあります。
今回のフォーラムでは大まかに、アルコール、薬物、ギャンブルの依存症者とその関係者が集まってました。
内容
二部構成で、1部は当事者・家族が語る体験談(4団体)。2部は国立精神・神経医療研究センター精神保険研究所の薬物依存研究部部長 松本俊彦先生による講演「人はなぜ依存症になるのか」でした。
1部は4名の方が体験談を語って下さったのですが、とても壮絶な内容でした。
プライバシー厳守のフォーラムなので詳しくは書けませんが…
- 親がアディクションでありDVなどの被害にあい、嫌悪していたのに自分もなってしまった。
- 正直言って、依存が深い頃は酒さえ飲めれば全てがどうでもよかった。法律も道義も妨げになるなら平気で破った。家族の安否もどうでもよかった。
- 愛しているのに、アディクションから抜けられない家族に暴力を振るってしまった(何度も)
- 地獄を見て、もう二度とすまいと決心したら何年もやめ続けられた。が、ある日目覚めると大量の酒の空き缶が…(記憶なし)
といったエピソードが特に聞いててきつかったです。
私もそこそこ地獄をみましたがここまでではなかったので、まだ良い方だったんだ。と思うと同時に、今後よりひどい地獄をみる可能性があるのだと暗澹たる気持ちになりました…。
2部の講演はすごかったです。
パワポとマシンガントークで依存症の実態を浮き彫りにしてました。
手話通訳の方がいたのですが、全然間に合わなくてゴールデンボンバーの振りつけみたいになってました。
かいつまんで書いてもすごい文字量になるので、目から鱗だった事柄だけ要約します。
- すべての依存症行為は苦痛を緩和する行為である。
- やめられないのはやらないと苦しいから。
- 「モノ」で鎮痛し、「人」に助けを求めない、最大の自傷行為を行っているのが依存症。
- 依存症の萌芽問題の根っこにあるのは、「安心して人に依存できない病」とでも呼ぶべきモノである。
「安心して人に頼れない病」は目から鱗ポロッと同時に胸にグサッときました。
振り返ると、あのとき助けを求めていたらあんな地獄は見ないで済んだという瞬間は何度もあったのに、当時の私は「ひとりで何でもできる!やりたい!やるしかない!それに、私なんかに人を頼る資格なんか無い。」と思いこんでいました。
今もそのケはあるのですが、強制的に助けを乞わないと飯も食えない環境にいるので毎日「人」に依存しています。
このまま「人」に依存して生きてゆけたら少しは生きやすくなるのかも知れません。
「ネズミの楽園」実験
講演中、松本俊彦先生がこんな実験を紹介していました。
「ネズミの楽園」実験(B・アレクサンダー、1980)というマウス実験では、孤立させた「植民地ネズミ」と開放的なコミュニティーの「楽園ネズミ」に水とモルヒネ砂糖水を与えると、「植民地ネズミ」は「楽園ネズミ」より20倍多く飲んだそうです立派なアディクションです。
しかし、その後「植民地ネズミ」を「楽園」に放つと、3日ほどして「楽園ネズミ」と同量にまで飲む量が落ちたそうです。
そうです。モルヒネに依存して緩和していた苦痛はコミュニティーによって祓われたのです。
あくまでマウスの実験ですが、とても示唆に富んでいると思いました。